他人がどうやって文章を書いているか。皆さん興味あります?
僕はめちゃくちゃ興味津々です。できることなら、執筆中ずっと横で見ていたいくらいに。
ただこの記事を書き始めて気付いたことは、自分のこととなると何かこう……なかなか上手く説明できないってこと。
書き方ってのはひどく属人的で、これから書こうとしていることは僕にとっては当たり前のことだし、「何を今さら」感が強いんですよね。そのくせ誰の参考になるのかと考えてみると、別に誰の参考にもならないと思います。
属人的だから、そのまんま真似しても特に良いことなんてありません。
あなたの書き方はあなただけのものだし、それを無理やり変える必要はないと思います。
ということを踏まえた上で、今回は僕がどうやってブログ記事を書いているのか、その流れや視点について語ってみましょう。今回のメニューは、
- 記事はどのように生まれるか
- 記事を書いている自分とは何者なのか
- 個人的に難しいと感じたり、注意しているポイント
いやもうホント、面白くないですよ……?
それでもいいって人だけ読んでください。
記事はどう生まれるか
最初に「どの時点で記事が生まれるか」を考えてみましょう。僕はほぼこの2パターンです。
- タイトルを付ける
- 文体が決まる
タイトルを付ける
頭の中で考えていることに何かしらのタイトルを付けたり、タイトルとして使えそうなフレーズが頭に浮かんだ時点で、そのトピックは「記事候補」に変化します。
タイトルってのはやっぱり重要で、これが無い時点では少なくとも記事になるような文章は書けません。
一種の制約ですね。
「これについて書け。他のことは書くな」というのがタイトルの役割だとすると、まず最初にタイトルありきというのは自然な形。
他の人がどう書き始めるのかはわかりませんが、おそらく多くの人はタイトルから決めるんじゃないかなと想像しています。
文体が決まる
しかしごく稀に、タイトルより先に文体が決まることがある。これが今回の大きなテーマである「何者として書くか」に直接通じる話になってくるので、前提から詳しくお話ししておきましょう。
まず僕はブログの文章を「語り」として書きます。喋りですね。
語りと文章というのは厳密には違うんだけど、語りに寄せられる部分はできるだけ寄せてしまう。これが基本の文体です。
その方が伝わりやすいし空気感を出しやすいし、難しい語彙や言い回しを避けられるから。
- 彼の佇まいはまことに鷹揚であった。
- 彼はすごく……威厳があるように感じました。すごくね。
小説やナレーションなら上もアリだと思いますが、ブログの文章として使うなら下かな。あくまで僕はですが。
ここまでの話を前提として進めましょう。次のテーマが「視点」です。
僕が記事を書くときの視点というのは、イメージ的にはこんな風になっています。
講演者や出演者がいて、観客がいる。観客はもちろん読者ということになりますが、僕は「読者ペルソナを細かく設定してどうたらこうたら……」なんてやりません。やろうと思ったことすらありません。
僕が細かく設定するのは、出演者である「彼」です。
僕の視点からは、彼が見えている。
ということは、僕は喋っている本人ではないんです。
僕はこの場所にいます。
彼が喋るのに合わせてスライドを用意したり、彼の言葉尻を捕まえて「それ、もうちょっと違う言い回しの方がいいんじゃない?」と手直ししたりする。言わばディレクター的視点ですね。
僕の文章が一歩引いた感じに見えるのであれば、それは僕が記事を書くときの視点がこの位置にあるからです。
だから僕は「自分の文体」には喋りに寄せる以外、全くこだわりがありません。
むしろ誰に喋らせるか。それによって文体は自然に決まると言った方が良いでしょう。同じテーマだとしても、出演者が変われば文体も切り口も当然変わってくるわけですね。
文体が決まるというのは、僕にとっては「出演者が決まる」ことと同義です。
そして稀に、誰かが不意につぶやいた一言によって記事が生まれることがある。
「ミラーってのはエイリアスというかショートカットというかシンボリックリンクというかソフトリンクみたいなもんなんですけど……」
このフレーズと出演者(この場合ならひろゆきさん)の顔が最初に頭に浮かぶんですよね。脈絡も何も無く。
それに対してディレクターである自分が「いいじゃんそれ」と返す。
「ちょっとWorkflowyについて語ってみてよ。ひろゆきさんなら、比較記事とか良いんじゃない?」
これが「文体が先に決まる」ってことです。
(何言ってるかわかんねぇって人は、安心してください。僕もあんまりわかってません)
どのように書き進めるか
タイトルや文体が決まると、後はもう上から順番に書き取っていくだけなんですよね……ある程度は出演者任せにしておいて、そこから先は共同作業。
何か特別なことをしてるってわけじゃなく、流れのまま書いていく感じ。
ほら、全然面白くないでしょ?
まぁ敢えてここで何か言うとするなら、Zettelkastenは執筆時は使いません。
Zettelkastenってのは理解したり情報を知識として消化する、あるいは発想する段階で使うものだと個人的には考えていて、「メモをつなげれば文章ができる」なんて境地には全然至っていないというか、今でも半信半疑です。
できるとしても、僕は正直Zettelkastenをつなげたような文章より、小説みたいな「流れのスムーズな文章」の方が好きですね。だから上から順に書く。
メモを見ながら書くというより、書いた文章が次の文章を呼び込んでくる。そういう感覚を大事にしています。
途中で書く手が止まってしまって、なかなか次のセリフが出てこないなんていうことは日常茶飯事なんですが、それって「止まる前の文章に原因がある」んじゃないかと。
だからその時は、少し戻って書き直した方が結果的に早いです。時には全部捨てて一から書き直すなんてこともあります。
個人的に難しいと感じるポイント
最後に「ここは今でも悩む!」ってところをお伝えして終わりとしましょう。
ズバリ、語尾と論理です。
前回記事で「美しい文章」の条件として、読者様はこの2つを挙げていました。これがなってない文章は、いわゆる「悪文」だというわけです。
だからこの2つは文章の基礎であり、ある程度はできて当然なんだけど、突き詰めていくと、やっぱりここに戻ってきてしまうんですよね……。
語尾を決めるのって難しい
僕も何年か文章を書いてきました。だから最低限はできると思うんですよ。ただ「より美しい」「より良いリズム」を目指すとなると、これがめちゃくちゃ難しい。
昔から苦手なんだけど、いまだにどうすればより良くなるのか、見当もつかない。
日本語の文章作成の難しさって、実は語尾にあるんじゃないかと思うんですが、皆さん悩んだりしないんでしょうか?
論理を通すのって難しい
「論理を通す」って何やねんと言われると、説明すること自体大変なんですよ……。
他人の文章晒すわけにもいかないし、わざとそういう文章書けって言われても困るんですが、僕がブログを始めて始めて間も無い頃にハマったのがこれです。
当時は「ブログには網羅性が大事」って言われてた時代。だからみんな平気で1記事1万字とか書いてたわけですね。
僕個人としてはそこまでガチでやってたわけじゃありませんが、検索順位が上がらないと、どうしても網羅性に目が行ってしまう。
でも網羅性を意識しすぎるとどうしても、あれやこれや書いちゃうんですよ。周辺情報とかたくさん盛り込まないと、少なくとも網羅性と文字数でライバルに勝てないから。
でもこの時期の文章は、文章としては完全に失敗でした。
日本語として間違ってるわけじゃないんだけど、どうしても焦点がブレるというか……色々書こうとしすぎていて、結局何言ってるかよくわからない。こういうのが論理がしっかり通ってない文章ですね。
「お前の話は長い」とか「要点は何?」って言われたことある人は、注意した方が良いかもしれません。
教訓としては、やっぱり「書くことを絞れ」ってことに尽きると思います。
まず1つのことだけに焦点を絞って書く。そして書き切ったなと思ったら、次のことを書いても良いとする。
そうすると、自分の伝えたいことが相手にそのまま伝わりやすくなるんじゃないかな。僕もまだまだ研究中ですが。
あなたはどう書く?
まだまだ他にも推敲の話とか色々あるんですが、とりあえずはこんなところで自己分析は終わりとしておきましょう。
それよりも、僕は「あなたがどう書いてるか」が知りたいですね。
- 先に見出しを全部決めちゃう?
- メモを見ながら書く?
- どんな環境で書いてるの?
「文章の書き方」とか検索したとしても、生きた情報ってなかなか出会えないものだし、すごく貴重だと思うんですよ。だからもしあなたが自分の書き方をどこかに書いているなら、ぜひ僕にも教えてください。
僕はそれくらい、他人がどうやって文章を書いているかが気になるんです。