「ブログに復帰する文章を書いてみてください」、と。
おいおい……すごいなChatGPT。
ぶっちゃけ、もうこれでいいんじゃね?
え、ダメ?
さすがに薄味すぎ?
まぁ確かに、塩すら振られてない感じはあるけれども……。
じゃあさ、ここはブログらしく「最近買って良かったもの」とか入れとく? 味付けで。
あるよ。最近というか、今さっき届いた鼻毛カッターが。
え、ダメ?
久々の更新で未使用の鼻毛カッターは無い?
わかるんだけどさぁ……難しいじゃんこういうのって。
なんかこう、「生きてます」とか「今後もやります」とか、そういうのだけじゃなくて、他にも何かしら語るテーマってもんが無いとさ、記事として成立しないっていうか。
そうだなぁ……じゃあこういうのはどう?
「コンテンツの更新が突然停止する原因と、そこから復帰する方法」
なかなかいいじゃん。思いつきにしては。
実体験をさも他人事のように語るみたいな。
……違う違う。
自分のこと棚に上げてるんじゃなくて、客観視してるの。
客観視だから。そこ、間違えないで。
じゃあとりあえず始めますか。
テステス。ワン、ツー。
マイク入ってる?
じゃあ5秒前。4、3、2 ……
ごあいさつ
はい、どうも! ぷーおんです。皆様いかがお過ごしでしょうか。
僕としてはここしばらく、ブログやTwitterといったネット上での活動を全て停止しておりました。約5ヶ月ほどでしょうか。
その間、ご心配の声も複数いただいておりまして、なんというか、誠に申し訳ございません。
活動休止の理由はごくシンプルで、書けなくなっていたというのが最も近いと思いますが、「休止の理由を説明します」だけでは記事として面白くもなんともありません。
そこで今回は僕自身の体験をお話しした上で、主語を文章や動画で情報を伝える側の人間、いわゆる「コンテンツ制作者」として大きく客観的に捉え、
- 人はなぜ、どのように書けなくなるのか (個人ブログやnote、YouTubeチャンネルが突然更新を停止したり、閉鎖してしまう原因)
- 書けなくなったとき、どうすればそこから抜け出せるのか
この2点を重点的にお伝えできればと思います。
それではいってみましょう!
「編む」と「紡ぐ」
本を作り上げることを「編む」と表現することがあります。辞書編纂者が主人公の小説『舟を編む』でご存じの方も多いかもしれません。
では言葉や文章はどうかというと、こちらも粋な動詞があります。「紡(つむ) ぐ」です。
カイコの繭から細い繊維を引き出し、複数の繊維をねじって撚り糸を作る。これが「紡ぐ」の元々の意味ですが、この2つの動詞は曲がりなりにも文章を書いてきた者として非常にしっくりきます。
事実や意見といった文章の原料が繊維であり、それを伝えるための一文一文 (一言一言) が糸である。
糸を編み合わせて一つの小さな編み物、たとえばブローチのような形に成形したものが記事や動画といったコンテンツであり、その規模が大きくなると一冊の本になったり、あるいはシリーズものの動画としてまとめられる。そんなイメージです。
だから事実を簡潔に伝えるニュースと共感を誘うエッセイでは、コンテンツに使われている糸がそもそも違うと言えるでしょう。
休止までの流れ
なぜこの話を最初にしたかというと、僕の場合、ある時点で言葉を「紡ぐ」作業に支障が出てくるんですね。
書いた文章の細部に納得いかなくて、なかなか書き進められなくなる。よく言われる完璧主義に近いです。
しかしこの時点ではまだ休止には至りません。悩みながらもなんとか形にはできるし、何より書くこと自体が習慣になっているから。
逆に習慣を破壊されてしまえば、後は脆いもんです。
僕は昨年秋、10月始め頃からこの初期症状を自覚していましたが、同時期に本業が繁忙期に入り、仕事に忙殺されているうちに書くことが習慣でなくなってしまいます。
朝起きてパソコンを開き、文章と向き合っていた生活から、起きてすぐ身支度を整える生活へと変化する。それはとても大きな変化です。
そんな状態がある程度続くと、文章そのものから気持ちが一気に遠ざかっていきます。「ある程度」というと1ヶ月とかそのくらいの期間を想像されるかもしれませんが、過去の例では最短で6日。たった6日間書かない日が続いただけで、その後何ヶ月も書けない状態に陥ってしまう可能性があるということです。
その間、自分のためのメモは書きますが、人に何かを伝えるような文章は一切書きません。書こうとも思えません。ブログの管理画面にアクセスすることも無く、毎日チェックしていたTwitterのアイコンもiPhoneのホーム画面から消え去りました。
書くことはおろか、他人の文章を読むことすら嫌というか……「怖い」に近くなってくる。こうして本格的な休止期間が始まります。
頑張りたくない脳
こう言うとさも辛い体験のように思われるかもしれませんが、実際は全く逆で、気持ちがすごく楽になるんです。
そりゃ仕事に追われていて体力的にキツい期間もありますが、それがずっと続くわけではありません。忙しい1,2ヶ月を乗り越えれば後は平常運転。そうなると体力も気力も回復して健康そのもの。むしろ絶好調です。書くことや読むこと以外は。
この状態をわかりやすく説明するのに良い例として、「僕のヒーローアカデミア」という能力バトル系アニメに登場する「上鳴 (かみなり) 電気」君をご紹介しましょう。
彼は主人公のクラスメイトであり、他の仲間と供に切磋琢磨する主要キャラクターの1人です。
名前の通り、体から強力な電気を放出して敵を攻撃するというわかりやすい特殊能力を持ちます。
しかしその放出量が一定の値を超えると、
アホになります。
僕も全く同じです。ブログ書いてる間はこんな小難しい顔して真面目に考えたりしてますが、
- 頭にかかる負荷が一定期間高まる
- 何らかの外的要因によって習慣が崩れる
この条件が満たされると、
アホになります。
脳は負荷に敏感である
アホになるというのはおそらく、脳の自己防衛機能なんでしょう。初期症状が現れるとき、僕自身は意識していなかったとしても脳にはかなり大きな負荷がかかっていて、そこから逃れる術を必死に探している。そこに「忙しい」とか、あるいは他の要因。たとえば、
- 進学や転職、引っ越しなどの大きな環境変化
- 悲しい出来事によるメンタルへのダメージ
- 新たな趣味の発見
などが重なると、これ幸いと負荷から人を遠ざけようとする。
「思うんだけどさ……今はこっちの方が重要じゃないかな? だからほら、ブログなんて書くよりしばらくこっちに居ようよ!」
脳は自分にかかる負荷に非常に敏感なんですね。わざわざ苦労したくないし、できれば何も考えたくない。いわば怠け者なわけです。
だから新たな習慣を形成するためには、できるだけ毎日の負荷を下げる必要がある。自身のモチベーションに頼った手法ではなかなか上手くいかないというのは、今では当たり前のこととして知られています。
復帰のきっかけとハードルについて
このアホな状態も長く続くと、さすがの脳も「また書いてもいいかな」ってな感じで、次第にニュートラルな状態に戻ってくる。ここで何らかのきっかけを与えてやると復帰に向かうわけですが、実際には復帰しないでそのまま放置されたり、閉鎖してしまうブログやnoteも多いですよね。
これは結構わかりみが深くて、実際僕は過去何度も放置や閉鎖を繰り返してきました。昔は無料ブログやメルマガを運営していた時期もありましたが、1年続いたものは無いんじゃないでしょうか。
しかし現在のドメインで「ぷーおん」として活動を始めた2019年以降は (今回のような休止は何度かありますが) 一度も完全放置や閉鎖は経験していません。復帰にもそれなりのハードルがあることを過去の経験から学び、ハードルを乗り越えれば復帰できることを知ったからです。
では復帰のきっかけや、復帰するために乗り越えるべきハードルとはどのようなものなのか。
復帰のきっかけ1 – 人としての焦り
きっかけは人それぞれなので一概には言えませんが、僕の場合はTwitterでした。
アイコンすら見るのが嫌でホーム画面から削除していたTwitterアプリ。脳がニュートラル状態に戻りつつあった2月のとある日にふと確認してみたところ、通知の数がエグいことになってまして……。
というのも今年1月、Amazonで僕の著書が半額セールの対象になっておりました。本来ならセールに向けて全力で宣伝するのが正解なんですが、何しろ僕はアホになっている真っ最中だったので、完全にスルーしてたんですね。宣伝どころか、売上も何もチェックしてませんでした。
そんな状態で2月を迎え、Twitterを確認してみたところ、活動を休止しているにも関わらずフォロワー数が増えている。しかも通知はフォローに関するものだけではなく、僕の本に関するコメントや僕の身を案じるコメントもあったりして、さすがにマズいと思いました。
「これを全部シカトするのは人としてどうなの?」と。
※ Twitterやブログなどで僕や僕の本に関して言及していただいた方、この場を借りてお礼申し上げます。おかげさまでまた文章を書けるようになりました。ありがとうございます。反応が遅れて本当に申し訳ございません。今さらですが、僕は生きています。
復帰のきっかけ2 – 読める体験
もう一つのきっかけは、Twitterをチェックをしているうちに「人の文章が読めた」ことです。ツイートだけではなくブログ記事を。
最初に読めたのはこの記事でした。
著者のbeckさんは前々から存じ上げてますが、まさか逆に読まれているとは思ってなかったですね。まぁそれはいいとして、とにかく「読める」という成功体験を通じ、僕の気持ちを文章に向かわせていただいたことに感謝しています。
beckさんの記事の主旨は「あなたのお薦めブログを教えてほしい」なので、お礼と言ってはなんですが僕の原点とも言うべきサイトを挙げておきましょう。
なお『ろじっくぱらだいす』は今回の記事の内容とは全く関係ありません。
復帰のきっかけ3 – 思考のループ
このようなきっかけのおかげで、2月中旬を迎える頃には「何か書きたいな」と感じるまでには気持ちが回復してきていました。しかし「何をどう書くか」を見出すまでにはまだ少しだけ時間がかかります。
この段階では、文章の元となる繊維がまだ頭の中に存在しない状態。一般的な言葉を使えば「書くことが無い」状態と言えるでしょう。
ただここから抜け出すのは非常に簡単で、もらったきっかけを気にかけておくだけでOKです。
ある人のツイートをきっかけに活動再開を考えたとしたら、そのツイートにすぐには反応できないにしても「僕はこのツイートにどう返事するだろうか?」と折に触れて考えてみる。
またある人が書いた記事を読んで何か感じるものがあったとしたら、その時点では言語化できなくても「僕なら同じテーマについてどう書くだろうか?」と問いかけてみる。
一度の問いかけでは何も浮かんでこないかもしれません。でも大抵の場合、数日もすれば頭の中に繊維と呼べるような何かが生成され始めます。その合図としてわかりやすい目安が「思考のループ」です。
少々イメージしにくいかもしれないので、もう少し噛み砕いて説明しましょう。
たとえばあなたが人間関係に悩んだとき、「あのとき、あの人にああ言えばよかった」って考えること、ありますよね?
しかもその考え、頭の中で何度もループしませんか?
このループのせいで眠れなくなったこと、ありませんか?
これがですね……「書け」って合図なんです。
繊維が生成され始めてるんですね。ただその繊維が複雑に絡まってしまっていて、端と端が探し出せない。だから同じ場所を何度も何度もぐるぐる回ってしまうんです。
頭の中ってのは手が届かない領域で、手が届かなければ絡まった繊維をほどけないってのは当たり前の話。
それならどうするか。生成された繊維の塊 (ループする思考) を丸ごと頭の外に出し、目に見えるところ、手が届くところに文字として置き直す。
本当に、思うまま書き出してみるんです。
書き出せばそれは目で見て、触って操作できる実体となります。(なんならコピペまでできちゃう!)
触れるということは繊維の端を探し出せる、あるいは探し出せなくても、一か所ハサミを入れればそこを端と仮定して塊をほどけるということです。そしてそれを素材として使うことで、何かしらの結論を導く新たな言葉を「紡ぐ」ことができる。
モヤモヤしていた気持ちがどこかの地点に着地して、「今のところはこんなもんだろう」と納得する。ここまで来れば、頭の中で延々と繰り返されていた思考は綺麗サッパリ消え去ります。
人間関係以外でも、悩み事で頭がいっぱいになって困っているという方は、一度その悩みを書き出してみてください。
……で、何の話だっけ?
あーそうそう! だからね、何かしらのきっかけからもたらされた思考が頭の中でループし始めるってのは、僕にとって書くチャンスなんです。
復帰のハードルとは
こうしてある程度まとまった文章が生まれたとしましょう。最後に残るのは「公開」というハードルです。
記事として世に出すこと、動画を実際に投稿して不特定多数の目に晒すこと。
休止や閉鎖といったある種の挫折を経験していない方にはわからないかもしれませんが、これが結構高いハードルなんですね。
- 復帰しても誰も見てくれないかもしれない
- 「今さら戻ってきやがって」と叩かれるかもしれない
そう考えると、もう押せない。投稿ボタンがまるで自爆ボタンのように思えてくる。
だったらむしろこの場所は放置しておいて、別の場所・別の名前で新たに始めた方がいいんじゃないだろうか?
過去の僕と同じように考える方もいるでしょう。そんなあなたに参考になるかどうかはわかりませんが、僕はシンプルに損得で考えます。
- 今までと同じ場所に復帰して「何も言わずに長期間休止していてごめんなさい」と謝るか
- 今まで築いてきたもの (過去のコンテンツやPV数、人脈など) を捨て、新たなスタートをきるか
天秤にかける。すごくシンプルに。
僕ならこの問いに対して即答します。「また初めからなんて絶対にやりたくない」と。
絶対にです。
PV数や過去記事なら最悪捨ててもかまいませんが、人との繋がりってのはそう簡単に割り切れるもんじゃありません。お世話になった方もいるし、意見を交わし合った方もいます。
そういう人たちとの繋がりを捨てたくないのももちろんだし、ここから少々ゲスな話をするとですね……もし僕が全く別の名前で別人としてnoteとかに投稿したとしても、誰かには絶対バレるんですよ。
文章って真似しようと思えばできると思われがちですが、ただ真似ただけの文章なんて割とあっさり見分けられます。ということは、その文章の名義が違っていたとしても、書いたのが誰であるか特定される可能性も充分あるということです。
そうするとですよ……最悪、こんな会話がnoteのコメント欄というオープンな場で繰り広げられてしまうなんてこともあり得るわけですよ。
「戦場ヶ原さん、はじめまして。このnote記事、すごく参考になりました」
「こちらこそ、読んでいただいてありがとうございます」
「あの、もしかして以前『ぷーおん』って名前でブログ運営されてませんでした?」
「……誰ですか?それ」
「本とか書いたり」
「……いえ、書いてません」
「NotionとObsidianの違いを一言で言うと?」
「アスカと綾波くらい違う」
「ぷーおんさんですよね?」
「………」
地獄です。
考察のまとめ
長々と語ってきましたが、今回の休止に関する僕の考察は以上でございます。ラストはスッキリ簡潔にまとめておきましょう。
- なぜ個人ブログやnoteは突然休止・閉鎖するのか?
- 脳に一定以上の負荷がかかっている状態のときに何らかの外的要因が加わり、習慣が破壊されると、人はいとも容易く (人に何かを伝える文章を) 書けなくなる
- 書けない状態から書ける状態に戻すには?
- ある程度の期間は脳を遊ばせ、文章に対する感情をニュートラルに戻す必要がある
- その上で他人の文章を読んでみるなどのリハビリを行い、読めないし書けないという状態から脱却する
- またその他の小さなきっかけによって、再び書ける状態へと移行できる
- 長期間の休止後、元の場所を閉鎖したくはないが戻りにくいと感じたら?
- 戻るか閉鎖するか、どちらが得か考え、戻るのが得だと感じたら戻る (後者が得なら閉鎖もアリ)
これはあくまで僕の体験を元にした考察であり、個人的な意見でしかありません。しかし、もしあなたがご自身のコンテンツを発信する場をお持ちで、その更新に苦しんでいる、あるいは長期間更新していないことを気に病んでいるのなら、こんな記事でも何らかの助けになるかもしれません。
さて僕はこうして長期の休止期間に一応のピリオドをうったわけですが、このたった1記事を仕上げるのに実は1ヶ月以上経過しております。
まだまだ夜明け前といった感じで、次回更新がいつになるかはわかりませんが、気が向いたときにふらっとお立ち寄りいただければ幸いです。
それでは、またお会いしましょう!
収録を終えて
はい、カット。
どう? こんなもんで。
「話長い」とか言われてもさぁ……しょうがないよ。なんせ5ヶ月休んでたわけだし。
でもまぁ少なくとも「ブログが続かない10の理由」みたいなクソつまらねぇ記事よりは読めるでしょ。知らんけど。
……ここ、オフレコだよね?
ちゃんと編集してくれよ?
あ、あとさぁ。「編集」で思い出したけど、俺がアホになる画像あるじゃん。この記事で使うやつ。
あれ、変な編集しなくていいから。マジで。
目とヨダレだけで充分アホに見えるから、余計なことしないで。
なんか、やりがちじゃん。額に「肉」って描いたり。全然面白くないやつ。
いらないから。そういうの。
わかった?
額に「肉」とか描くなよ?
絶対描くなよ!?