Obsidian Advent Calendar 6日目はturaraさん。なんだかエモい感じの文章でご参加いただきました。
今回はシンプルなメモアプリからObsidianへ移行していった軌跡を書いていきたいと思います。それではお聴きください。
「ありがとうObsidian」
割りと長いことWebの文章読んできましたが、この序文は見た記憶がありません。
今度パクらせてください。
肌に合うアプリは、カチッとはまる音がする
turaraさんは「デジタル・ガーデン」という概念との出会いからノートを育てる楽しさに気付き、それがObsidianを使い始めるきっかけになったと語られています。
『庭師のようにノートを手入れする』
頭の中で何かがカチッとはまる音がしました。
自分の庭!
この言い回しとか、独特で好き。
僕は初めてObsidianで内部リンクを作成した瞬間、カチッとはまる音がしました。
他のアプリでもそういう経験があって、たとえばNotionであれば、データベースがカンバンになったりカレンダーになったりといった「見せ方のフレキシブルさ」にははまる感覚がありましたね。
割りと皆さんそういう経験をされているのかしら。
どのアプリのどの機能がはまるかについては人それぞれあると思いますが、それよってアプリの使い方や付き合い方というのは変わってくるかもしれません。
僕たちは「エモさ」に支配されているのかもしれない
この記事のもうひとつのキーワードとして「エモいキーワード」があります。Obsidian周りで例を挙げるとすれば、
- デジタル・ガーデン
- 自分専用のWikipedia
- 第2の脳
- PKM
- MoC
どれもある種のエモさを醸し出してますね。
ここで言うエモいとは、人に興味を持たせるとか、ちょっと立ち止まらせるとか、「なんか良い」「なんか気になる」と感じさせるとか……そういうニュアンスで捉えて欲しいんですが、僕は「Vault」にもエモさを感じるんですよ。ここは日本語訳の「保管庫」ではどうも物足りない。
なんか最近ゲームの話ばかりしているような気がして申し訳ないですが、昔Fallout4ってゲームにハマってた時期がありまして。Vaultと言われれば僕はFalloutを思い出します。
ご存知ない方は核シェルターみたいなものをイメージしてください。ただそのシェルターは避難するためだけの部屋ではなく、とあるVaultでは植物を栽培したり道具を修理したり、子供に勉強を教えたりしている人たちもいる。
生活の場でもあるんですよね。Vaultって。(あくまでFalloutの話ですが)
自分のノートが色んな制約から解き放たれ、そこで生活している。そう考えるとほら、なんかエモ味を感じません?
エモさを追いかけるのも、また一興
僕個人の話で言えば、内部リンクからZettelkastenに進んだので、LYTとかデジタル・ガーデンはあまりちゃんと学んでこなかったんですよ。
むしろ以前はそういう現代のフレームワーク的なものを避けていたような気がします。「Zettelkastenあるんだから、別に他は知らなくてもいいじゃん」って。
今でもObsidianを使う上で、フレームワークを学ぶことが必須だとは考えていません。ただ記事を読ませていただいて、優れたフレームワークにはこういうエモいキーワードがちりばめられていて、それが人に興味を抱かせたり、考えるきっかけになるのであれば、それはそれで意味があるんじゃないかと考えるようになりました。
皆さんはどんなきっかけでObsidianやその他のPKMツールを使い始めたのか、また使ってみようと感じられたのか。機会があればお話してみたいですね。